池田さんち、見学。八千代区の山あいへゴー。第三話。
第二話のおはなし…ぼっち社員がやちよ百姓くらぶをしてはる池田さんちに見学に来て、畑や田んぼを見せてもらう。田んぼに苦戦しながら田車を経験。。今日は池田さんが移住したきっかけを。
池田さんは、二十数年前に移住。移住がブームになるはるか前に移住してきてはります。
元は兵庫県内ではあったものの街(実家があるそう)に一家で住んでたそうで。
子供が育つ住環境を考えて田舎暮らししたい、と考えるようになったそう。
で、役場や市役所に空き家情報の問い合わせをしまくって。
今みたいにネット環境もそうでもないし、情報も少なかったから大変やったかもやね。
池田さん、たまたま多可町の役場に連絡したとき担当者の方が「あるよ、いっぱいあるよ」てゆうてくれたそうで、たくさん紹介してもらい…。
そんな中、担当の方が「うちも半年で引っ越すし待ってくれるなら、うちでもいいよ」と。
…そんな突飛なことがことあるのが田舎。
結局その担当者さんが住んでたおうちが、池田さんの今のおうち。田畑もいっぱいのこのおうち。
移住は出会いが大事なのかも。いやでも出会いあるのが移住。
移住が始まるまでの半年。
まだ住んでる街の家で田舎暮らしに思いをはせる。
「あ、これは○○ていう葉っぱなんや」と身の回りに見つかる草花を少しづつお勉強してた池田さん。
うきうきな気分もありながらも、気がかりはお仕事のこと。
なんか探さねば。田舎で何をしよう。
旦那さんはお仕事が見つかっていたけど、本人も何か仕事を。
そんな中、なぜか納豆屋をやることに。納豆屋になるきっかけはなんか不思議。
元々子供さんが好きでよく食べてた納豆。
コープでたくさん入った納豆を買ってたけど、その納豆が販売終了に。。
これは困った、ということで自分で作ってみることに。
出来不出来に関わらず、子供さん、納豆であればよく食べてたそうで。
あるとき、流通の会社をしてはるお知り合いに会うことがあり、手土産として納豆を持って行った。
これが仕事の道筋つくるきっかけに。
「これ作って売ったらいい。うちが販売したる」と会社の方。これは大きい後ろ盾。
「納豆屋やってみるか」
さて、納豆屋になろうと決めたけど、家用に作ってた納豆を売るとなると…販売できるようなものを作らなければ、と。
多可の古民家に越してきてから1年は納豆屋になるべく納豆を勉強。
そしてついに納豆屋に。
時代としてはまだ関西に納豆が根付いてないころ。
納豆作ってるところが少なかった。
そういう時代背景もあって納豆のお得意先も関西でどんどん増えていったそうで。
ここまで池田さんの話聞いてたら、自分がちょっと動いたことで、大きく引き寄せてるものが多い気がする。
おうちといい、納豆屋といい。
その後もやってる活動から、いろいろな面白い人たちを引き寄せ続けてる。。
池田さんが強くゆうてはったのは「田舎への移住は若いうちしとくべき。年いってからだと移住するにあたって体力がもたない。」てこと。
あと「Iターンで実家に戻るのではなく、できたら住むところは自分で決めるべき。」
自分のやり方で一からできるから失敗しても納得しながら暮らせる、と。
ちょこっとやけど、農体験もさせてもらって周りの木々や草花のこと、これまでやってきた流れも聞いて、池田さんという人が前よりだいぶよくわかったような気がしてます。
てなわけで、いろんなお話しきけました。
いまやってること、移住した頃のこと以外にも、でんくうトラベルとして聞きたいことも。数人おすすめの多可町人も教えてもらい。
でんくうトラベルとしての方向性とか、もちろん収益を得んといけないとか、まだモヤっとフワッとした状態やけど、実際に活動してはる人たちの様子を見てお話しして、タネを見つけたいなーと思う。
ぼっち社員みたいな人見知りでもいろんな人たちに会いながらお仕事やってけるやろうか…ちと心配。
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